纸片人あるいは「うちの子」と恋する作家 by《传闻中的陈芊芊》


先日感想を書きなぐった《传闻中的陈芊芊》について、作家が自分の作品世界の中へとトリップすること、そして自分の生み出した登場人物と恋愛をすることについて書きたくなったのでこの記事を作成しました。

私も趣味の同人誌制作などで、いわゆる「キャラクター」を生み出したことがあります。
※作品世界にトリップしたことはないです。
とはいえ私はあまり自分の作品やキャラクターに深い愛着を抱くタイプではないので、別に作品世界の中に行きたくないし、キャラクターに会いたくもないのですが……。

~《传闻中的陈芊芊》のあらすじ~
脚本家の小千はドラマ脚本の改稿中(修羅場)に重い風邪に罹って意識を失い、目が覚めると執筆していた脚本の中にトリップしていました。しかも小千の役回りは、序盤で死ぬ小物悪役・陈芊芊。いわば悪役令嬢です。
死ねば現代に戻れる? でも痛いのは嫌だし、怖い。
毒を飲まされて死ぬのも避けたい……そんな当たり前の生存本能から、自分を殺害するキャラであり脚本中の男主である韩烁と色々やって死亡フラグを回避。
「死」以外に現代に戻るにはどうすればいいかと考えて、小千はこの物語を終わらせる(脚本の最後まで話を進める)ことにします。自分というイレギュラーがありつつも、なるべく物語の筋通りになるように奮闘するのですが、男主は自分に恋するし、女主の様子はおかしくなっていき、作者すら知らない物語が始まろうとする。


物語改変のきっかけは小千のトリップです。より詳しく言えば小千が「死ねない」と当然の気持ちから死亡フラグを回避して生き残ることなのですが、もっとも重大な改変は「男主(と女主のポジション)を本来の女主・楚楚から作者である小千が略奪してしまう」ことです。主役が変化する、ということですね。

わりとラスト間近まで、小千は韩烁と楚楚の仲を取り持とう(=正当なカップルにする=予定されていた筋書きをなぞろう)と奔走します。
しかし韩烁は序盤で小千に恋してしまうので、楚楚とくっつけようとしたって上手くいくはずもありません。
そしてそのうち小千も自分が韩烁に恋していることを自覚します。
それでも彼女の中には作者としての葛藤があるため、中盤までは自分の気持ちと韩烁にあまり向き合おうとしません。それを象徴的に表すのが、13話に出てくる「纸片人」という単語です。

百度百科 纸片人……二次元キャラクター

「韩烁」は単なるキャラクターで、実在の人物ではない!
そのうえ生み出したのは自分!
彼を好きだなんて認めたくない!っていう感情の流れから出ていますね。

実際これ、嫌すぎません!?
私だったらくそ嫌です! いくら実際に目の前で息をしていて触れる人間だといっても、マジ?
自分が設計したキャラクターに恋……できるか!?
同時にこの世界ではメタ的なキャラである小千と作家三先生とのやりとり、そして終盤で陈芊芊(と融合した小千)が「キャラはキャラだけど、みんな生きてる」みたいなセリフ。
そのあたり組み合わせると確かにそうだね、って理解することはできるけど、作者としての葛藤は消え去ったのかとかかなり気になって面白く考えました。

もちろんクリエイターには色々なタイプがいるし、日本で言えば「うちの子かわいい」的に「うちの子」という表現を使うこともまま見かけますね(ただし「うちの子」だと恋愛はより困難になるのではないか?と私は思ってしまうが)。
とはいえこのドラマは、筋書きを正常にしようとしながらも、その場に生きている人々を放っておけず、本当に色々な境界や慣習、ルール、常識を改変していく物語でもあるのです。
世界観の基盤である「男尊女卑」「女尊男卑」も明らかにそうですし(無論それは小千自身が乗り越えるべきものとして設定した世界観なのですが)、サブプロットでもキャラクターの変化にかなり重きを置いているように見えます。
そういった側面から言えば、筋書きを作った張本人で脚本家である小千が「作家と創作物」という垣を越えていくことも容易なのかもしれません。つまり予定調和ではあるんですよ。ただし小千が世界に実際に存在してしまうことが、キャラクターの感情に色々な変化を生んでしまう。それは世界のルールよりももっと変えることの難しいものです。小千がネガティブな事故として失敗しているのは男主と女主の恋愛成就だけですから(死ぬ予定だったはずの人が生きていたのは基本的にポジティブな意味合いでしたね)。
そんな風にコントロールのできない「生きているキャラクター」と恋に落ちる作家の小千。
私だったらくそ嫌だなって書いたけど、コントロール不可能というのはこういうことを言うのかもしれないですね。

ここに関連してくるのは、このドラマでいわば当て馬として描かれる裴恒です。
彼、小千のお気に入りキャラであることが序盤でかなり強調されます。
それゆえ小千は彼に甘くなったりぽっとなったりしがちで、韩烁がやきもきする、のですが。
ここはわかりやすかったですね。小千は劇中、「男主は女主のものだけど、二男(当て馬)はみんなのもの」といった感じのセリフを言います。このあたりでも、男主・韩烁と女主・楚楚をくっつけようとしていた小千の意図と重なり、裴恒はいわば小千的には誰のものでもない「推し」であるのです。
今よく使われる「推し」。これって恋愛のニュアンスがわりと漂白された単語のように個人的には思っていて、小千から裴恒に向けられる「好き」がわかりやすいなと思ったのですが、いかがでしょうか。特に14話の小千と三先生のやりとりががそんな感じだな~(そういう種類の好きではない!というセリフ)と。
奇しくもこのドラマの女主である小千と男主・韩烁はセリフ通りにめでたくくっつき、裴恒は恋に破れる。しかも何回かフラれてたよね。草。
いくらでもメタ的に回収できるセリフや展開があって、変則的な道をたどるとはいえ物語自体は王道やお約束に回帰していくのが本当に面白いです。小千がたびたび作家視点からキャラに対するコメントをするのもいいですよね。

ラストでは晴れて纸片人は現代に肉体を持つ韩老师となり、小千の恋は長い夢ではなく現実のそれへと変化を遂げる。
まだ韩烁のことを知らず、長い夢から覚めたばかりの小千が「失恋をしたから〆切を伸ばしてほしい」と監督に電話をかけるように、もちろん恋心は夢の中でもホンモノだったのでしょう。けれどそれが実際の人間であり、肉体的接触を含めたパートナーとして共に人生を歩むことが可能になるという点では最大のトリップがここです。
この時の韩烁はすでに纸片人ではなく、小千の作りだしたキャラクターでもない(はず※注)。

作家の恋は現実となり、キャラクターは現代のスターの中になぜか入り込み、共に過ごした時間の記憶を共有している。なんて面白い、奇妙な状況でしょうか……。
終盤のセリフであるキャラクターが「生きている」ということの意味合いがさらにエンディングで変化していき、本当に「生きている」人間になってしまう。
不可思議で愉快な結末ですよね。考えれば考えるほど、このドラマの恋愛は面白かったです。

気になるひとはぜひ見てみてね!
本当に面白いから、多少言葉がわからずとも楽しく見られると思うんだよ~。


※注:正直このエンディングでは韩烁サイドの交通事故、そして謎の記憶の継承がぼかされているので、正確なところを知るのは無理です。そこもまた深堀りし甲斐のありそうな話題ですよね。もっと色々な人がこのドラマを見た感想を知りたいです。



【おまけ】
陈芊芊と韩烁は誰なのか?あの世界は終わったの?みたいなのを、前回の記事書いてから考えていて、ハッとなったやつ。
あの劇中劇は最終話の本当にラスト、小千の手によってみんなハッピーになるように書き換えられていることがちゃんと表示されていますよね。
――つまり新たな陈芊芊と韩烁が、すでにあの世界に再び創造されとる……!!
って気がついて、ここで「意識」とか「記憶」とか、あの世界は終わったのかとか、考えなくていいのかなと思いました。
あの世界に小千はいないけれど、小千と陈芊芊が融合してできたあの時のキャラクターが存在しているわけですから。それがこのドラマの劇中劇をハッピーにしたような作品で、きっと良いものになったんじゃないかな。
世界は続くんだね、嬉しいね。すっきりした。(画面にばっちり写ってるのに見落とすなよって話だよ)
でもやっぱり韩老师≒韩烁のあたりはよくわかんないよ~!
ハートマークが単なるラブコメ要素なのかとか無限に疑っちゃうじゃん。

元々考察的なものが得意じゃないので、「自分は何も読めてないのでは?」「ちゃんと見ていないのでは?」という疑いがあるところに、中国語力の問題でセリフの理解が怪しいという事実が加わって尚更混乱します。
わたし、メタ、メタフィクションについても全然知らなくて。ううう~ん。
あとさらに言うとなろう文脈みたいなのに知見があるひとにも色々聞いてみたい~!

ここ違うよ!ここはこうだよ!
みたいなのあったらぜひ聞きたいよ~。

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